『わたしとイスラーム』が始まるまで(前編)

 

当サイト『わたしとイスラーム』の制作が決まったのは、2025年6月。


Olive Journalというパレスチナ情報サイトを運営するメンバーの中から、「イスラームについて情報発信をするメディアを作りたい」という思いを持った3人(Yuki、Nanami、mgm)で、企画を進めてきました。

そもそも、なぜイスラームについて情報発信をしたいと思うようになったのか?
これまでイスラームとどのような関わりを持ってきたのか?このサイトを通じて何をしたいのか?

…サイト開設にあたって、ノンムスリムであるmgmが主に聞き手になり、ムスリマであるYukiさんとNanamiさんにお話を伺いながら、それぞれの思いや経験を語るオンライン座談会を開催しました。

 

自己紹介

mgm:

本日の座談会のホスト役のmgmです。都内で2歳児を育てながら会社員をしています。
私は一般的な日本の家庭で育ち、現在はヒンドゥー教徒の夫と結婚しています。

イスラームとの出会いですが、インドでの結婚式に、夫の実家のご近所に住むムスリムの方々も来てくれたんです。結婚式のあと、お祝いに来てくれたムスリマの女の子たちと、普通におしゃべりしたり、「BTSで誰が好き?」という話をしたり。

それまですごく禁欲的なイメージが強かったのですが、初めて親しくおしゃべりをしたことで、自分が持っていたイメージがすごくステレオタイプ的なものだったことに気付かされ、目から鱗が落ちました。
その経験と、2023年にガザへの大規模な攻撃が始まり、パレスチナについて学ぶようになったことが相まって、もっとイスラームについて知りたいし、本当の姿を情報発信してみたいと思うようになりました。

それでは、お二人にも自己紹介をお願いしてもよろしいでしょうか?



 

Yuki:

はい、私はYukiといいます。ムスリムの仲間からはザハラさんと呼ばれています。仕事は看護師とWebデザイナーのをしています。

元々は信じている宗教は何もなくて、お葬式のときだけ仏教式でお坊さんに来てもらうような、よくある日本の家庭で育ち、イスラームに触れ合うきっかけは全くありませんでした。

でも、学生時代から旅が好きで、「風の谷のナウシカ」の舞台のモデルといわれる、パキスタンのフンザに行ってみたくて。イスラームというよりもその場所に興味があって訪れてみたのが、イスラームとの出会いでした。国民の97%がイスラム教徒であるパキスタンを旅する中で、心温まる体験をしたことをきっかけにイスラームについて学ぶようになって、2018年に自分からイスラム教徒になりたいなと思って、改宗しました。改宗した数年後に、日本で出会ったパキスタン人と結婚して、今は愛知県で2歳の娘と三人で暮らしています。

 

Nanami:

私も2018年に改宗しました!一緒だ!

Nanamiといいます。
改宗7年目のムスリムで、今は島根の山の方に主人と子どもと3人で暮らしています。出産を機に仕事を止めて以来子どもと家で過ごす日々なのですけれど、色々やりたいことが出てきて、イスラーム圏のお料理を出す間借りカフェをやってみたり、Olive Journalに関わらせていただいたりもしています。

イスラームに触れたきっかけは、大学生のときに留学したフランスでモロッコ、チュニジア、エジプトなど北アフリカのムスリムの人たちに会ったことです。「こういう人たちもいるんだ」って思いました。それは改宗のきっかけではなくて、日本に帰ってきてからも割とムスリムの人たちと関わる機会が多くて、少しずつ触れて学んでいったという感じです。

パリで一年間過ごした多国籍な学生寮

日本に戻っても、ムスリムの方々が身近に感じられる環境でした

 

mgm:

ありがとうございます。

では、最初の質問として「イスラームに改宗したきっかけ・理由」をお聞きしてもいいですか?Nanamiさん、日本に帰ってきてからのお話を続けてお聞かせいただきたいです。

 

改宗したきっかけ・理由

Nanami:

はい、帰国してからもずっと色んな国のムスリムと接する機会があったんです。

あるとき、仕事場で隣の席がアフリカ人のムスリムだったんですよ。その人が、職場に何百人もいる中、一人だけでラマダーンの断食を始めたのを見て、「これはなんだ!?」みたいな。イスラームというか、「何がこの人をここまでさせてるんだろう?」とすごく気になって。

それで翌年、その人と一緒にラマダーンをやってみたんです。結果、すごく学ぶことが多くて。それまで、戒律が厳しい宗教なんだろうなぁ…と思ってたんですけど、その同僚自身もすごく喜んでラマダーンをやっていたし、私も断食をしてみて、本当に心身がすっきりする感覚があったんです。得ることが多すぎて、「こんな感動体験をさせてもらえるのがイスラームっていう宗教なんだったら、ちょっとこれ良いんじゃないか?」と思うようになりました。
それからお祈りのことや、色々な決まりについても知ったんですが、勉強しようと思っても勉強することが多すぎて、全部理解してからイスラームに入ろうと思っていたら一生できないような気がして。でも、勉強しているうちに、どこかで「これについていったら間違いないんだ」みたいな確信を持てたんです。

イスラームに改宗して、より良いムスリマになっていきたいな、そういう良い人生を送りたいな、という気持ちになりました。

 

mgm:

確信を持てたとおっしゃいましたけど、どんな確信ですか?

 

Nanami:

「これはいいものなのか」っていう思いと、でも周りの評価というか、メディアの言い方とかもあるし…(ネットの)知恵袋とかで調べたら、「改宗したら絶対抜けられません!」とか、変なことが出てきたりするんですよね。そんなのを見て「いやーなんか大丈夫なのかな?」って不安になったりとか…。

だけどモスクとかにも足を運んで、実際のイスラーム教徒の方、日本人のイスラーム教徒の方にも話を聞いて、ネットの匿名の人たちの書いてることよりも信頼できるなと。元々いたムスリムの友達のこともすごく信用していたし、きっとこっちが本当の姿で、私もこういうふうに良く生きていきたいな…という気持ちになって。(改宗することへの)不安と、改宗したいという気持ちを比べたときに、後者の方が勝ったときが、確信が感じられた瞬間ですかね。

 

mgm:

なるほど…!生のムスリムの方々と触れ合う中で、自分は改宗するんだという気持ちが固まったんですね。

では続いて、Yukiさんにも、先ほどの自己紹介の中でも少し触れていただいた改宗のきっかけを詳しく教えていただけますか?

 

Yuki: 

はい、やっぱりパキスタンがきっかけなんですけど…。

一番最初に行ったのはフンザというすごく自然が美しい山岳地帯の村だったんです。一人旅で、カメラを持ってあちこち村を歩いたりしていると、その辺で農作業とかをしているお母さんが話しかけてきてくれて、「うちでお茶していかない?」って声をかけてくれたんです。少しお邪魔するつもりで行くと、私のためにいろいろ料理を作り出してくれて、すごくたくさん色々なものを出してくれて。あと、ご家族とか、家の近所の人も呼んで、みんなが家に来てくれて楽しくお話しさせてもらったんですけど、その後は、隣の家の子が「私の家に来て」って言って、今度は違う家にお呼ばれしたり。

パキスタン中、本当に色々な場所を旅したんですけど、どこに行ってもみんなそんな感じで人懐っこくて、ホスピタリティが凄かったんですよね。レストランとかお茶屋さんとかで食事をしたときも、代金を受け取っていただけなくて。「あなたは遠い場所から来てくれたお客さんだからお金は受け取れません」って言われることが本当に多くて、パキスタンでは食事にお金を使うことがほとんどなかったくらいでした。

他にもさまざまな場面で親切にしていただいたり、心温まる経験をさせていただき、旅をすればするほど、パキスタンの人のことがすごく好きになっていきました。

パキスタンの人たちがイスラームを生活の中心にしていることはすごく伝わってきたので 「このホスピタリティや親切心はイスラームの教えが関係しているのかな?」と思って、イスラームのことが気になり勉強し始めました。

先ほど、Nanamiさんがファスティングをやってみたってお話がありましたけど、私もラマダーン期間中、現地で一緒にやってみて、本当に心身がスッキリしたし、断食開けにみんなで語らいながら食事をしたり、ラマダーン期間中は毎日が特別な感じがして、とても楽しかったんです。

私もNanamiさんと同じで、改宗した時はそんなにイスラームのことを知っていたわけではなかったのですが、この宗教がすごくいいものであるというか、これで間違いないなっていうのを感じたので、改宗しようと思いました。

あと、実は私、元々パキスタンの人とかムスリムのことをよく思ってなかったというか、全然知らなかったんです。メディアなどからテロのイメージを刷り込まれていて、初めてパキスタンに一人で行く時はとても怖かった…でも実際に行ってみたら全くそんなことはなくて、メディアを通して受け取っていたのは、どこか西洋的な視点に偏ったイメージだったんだと気づきました。本当のイスラームは全く違うものなんだなってわかったんです。

だからこそ、こういうことを多くの人に伝えていきたいなって強く思いました。伝えていくためにも、まずは私自身が実際に体験して、自分の目で見て、感じることを大切にしようと思いました。そして、本当の意味でムスリムの人たちの気持ちを理解するためには、私自身もムスリムになる必要があると感じました。これも、改宗しようと思ったひとつの理由でした。

大好きな街・パキスタン/チトラールのモスクで改宗

パキスタン北部最奥の村を訪れた時。もてなしてくれた家族

 

mgm:

お二人とも改宗する前にラマダーンに挑戦していらっしゃるんですね!

私、ラマダーンって、ご飯食べれない=辛いみたいなイメージがあるんですけど、すっきりするんですか?

 

Nanami:

すっきりします!ムスリムの人たちは楽しみにしていますね。

ラマダーン月は、良いことをすると神様からさらに評価される祝福された月なので、もっと頑張ろうって楽しみにしています。

信仰についてもですが、身体や心の面から考えても良いものだと思います。私、実は1日5個ぐらいケーキを食べる人だったんですよ(笑)本当に暴飲暴食してた人で、食べないなんて考えられたものじゃなかったんですけど、実践してみたら、なんかこう…一日断食した後にケーキとか見ると、そこに栄養がないことが感覚でわかるみたいな…ケーキじゃなくてご飯を食べたいっていう、今まで経験したことがなかった感覚になれたんです。それで、「あ、なんかこういう正しい感覚への道しるべをくれるものなんだ、イスラームって」って感じられたんです。

 

改宗後の周囲の反応

mgm:

改宗された後、ご家族とかご友人とか周りの反応はどうでしたか?お話しできる範囲で構いませんので教えていただけますか。

 

Nanami:

私の場合、自分の周りでは家族が一番ネガティブでしたね。

(改宗前に)今ラマダーンを同僚とやっていると言ったりすると、「うーん…」みたいな反応で。「食べないという経験もありなのかも?でもあまり入り込みすぎないようにね」みたいなことを言われました。その時点から微妙な反応ではあったので、改宗すると言ったら何を言われるかなって。でも自分自身のことだし、もう改宗してから言おう!と決めたんです。でも(改宗したと)言ったらもう大変なことになって…(苦笑)。一時期は家族と会うのすら難しいときもありました。今はそこまでじゃなくなってきて、ちょっとずつ関係修復してるんですけど…。

西側のメディアの偏ったイメージ=イスラームだと思い込んでいるので、いくら「そうじゃないよ」と説明しようとしても聞く耳すら持ってもらえなくて…一番難しかったです。

逆に、家族以外からはネガティブな反応はなかったですね。周りの友達とかは、「そうなん?面白いやん」とか、「なんかよくわからないけど、あなた自身の人間性が変わってしまうわけじゃないんでしょ?じゃあ、まあ見守るか」と言ってくれました。





Yuki:

私も友人たちからは何かネガティブなことを言われることはあまりなかったです。
ヒジャブを着けてたら、「それ何?素敵だね!」って言ってもらえることの方が多くて、嫌な思いをしたことはないです。

ネットで多少の中傷を受けたこともありましたが、リアルな友達から否定的なことを言われることはなかったです。

でも、家族は最初は難しくて、「何で改宗する必要があるの?」と、やっぱり反対はされました。両親は、ムスリムと接したこともなく、西側メディアからの情報だけでイスラームを捉えていたので、良いイメージを持たないのは当然だと思います。家族にムスリムの人が一人いることで、周りから変な目で見られるんじゃないかって気にしているのを感じました。ヒジャブをかぶるのもよく思わなかったようです。でも、イスラームって家族を大切にするっていう教えがあるので、今までの自分を反省して、親孝行をしようというふうに気持ちを入れ替えていったんですね。それまで、家族の食事を作ったりしたことがあまりなかったけど、「私が作るよ」と言って毎日用意したり。そういう小さな行動を積み重ねる中で、少しずつですが、家族の気持ちにも変化が出てきたように思います。今は、実家に行った時にはお祈りや食事の内容にも気を配ってくれるようになってきました。

まだイスラームについて家族にしっかり伝えられてるわけではありませんが、それでも少しずつ、時間をかけて理解が深まって行けばいいなと思ってます。

 

mgm:

上の世代にいくほど、自分たちの世代以上に西側のメディアの影響が強いなっていう感じはしますよね。ちょっと脱線しますが、私の場合、両親は結婚に反対しなかったんですけど、さらに上の世代である祖母には、「肌の色が黒い人と結婚するの!?」と、直球で言われたことがあります。その後なにかうるさく言ってきたりはないんですけど…。少しずつ、世代によっても受け入れ方が変わっていくところもあるのではないかと思います。この「わたしとイスラーム」が、イスラームに対する見方の変化につながるメディアになれればいいなとも思います。

Yukiさんのお話で、改宗されてから親孝行するようになったとおっしゃっていましたが、改宗されてからの価値観や生活の変化についてお伺いできますか?

 

改宗後の価値観や生活の変化

Yuki:

まず、イスラームの価値観が、自分の生活の中心、柱のような存在になりました。

今までは何が正しいのか分からずに迷うことも多かったのですが、イスラームと出会ってからは、自分の中に“人生の指針”があるような感覚を持てるようになったんです。どんな場面でも、自分がどう行動すべきかの確固たる指針があることで、すごく心が落ち着くようになりました。

でも実は、ムスリムになる前から自分が大切にしていた価値観と、イスラームの教えには大きく変わらない部分もあるのを感じます。当たり前のことですけど、家族や隣人を大切にするとか、人として誠実であること、寄付や助け合いの精神など、大切にしたいと思うことは あんまり変わってないような気もしています。改宗したことで自分の中に何かが急に変わったというよりも、「もともと自分が大事にしていたことに、より深い意味や導きが与えられた」と感じることが多いです。

 

mgm:

今のお話を聞くと、イスラームの価値観はクルアーンなどに言葉として残されているからよりわかりやすい、という面があるんでしょうか?

 

Yuki:

そうですね、クルアーンとか、預言者さまの言行録(ハディース)というのがあるんですけど、そこにはすべての答えがそのまま書いてあるわけではないんです。でも、書いてあることをヒントにしながら、色々な学者さんが解釈を示してくださっていたりとか。あとは自分自身で考えながら向き合うことも多いです。だからこそ、明確な“正解”がすぐにわかるというよりは、それぞれの状況に合わせて考える余地があって、深く学ぶほどに理解が広がっていくような感覚があります。

でも、すべての答えにつながる軸のようなものは確かにそこにあるかなと思っています。




Nanami:

私も、軸ができたというか、イスラームが自分の柱になったっていうのは同じように感じます。それまでは軸がなかったからすぐグラグラしてたものが、地に足がついたみたいな。

(改宗前は)良いことをしたい、と思っていても何が良いことかわからないし、「自由でありたい」と思っても、そもそも何が自由かがわかっていなかったです。(改宗する前は)食べ物が制限されることとかは”不自由”だって思っていたんですが、それって不自由ではないというか…”悪いことをしてもいい自由”っていうのはなんか違うと思うんですよ。何が良くて何が悪いか、分かった上でちゃんと行動できることが”自由”だと思うから、改宗して本当の意味で自由になれたし、すごく生きやすくなりました。

今までは、自分で何でもしないといけないと責任感を感じすぎたり…結構日本人はそういう考えのひとが多いと思うんですけど。それが、今は何でも「インシャアッラー(神の思し召しがあれば)」って思えるようになりました。何かやりたいことがうまくいかなかったら、今までの自分だったら、努力が足りなかった自分のせいだって受け止めてしまっていただろうけれど、頑張ったけどうまくいかなかったのは神様がそう望んだからで、むしろその失敗が何かに繋がるかも、もっといいものを神様がくれるかも、という捉え方ができるようになった(=失敗が怖くなくなった)ので、何かに挑戦することも身軽にできるようになったんです。

「わたしとイスラーム」を立ち上げる話も、皆さんにまず打診してみないと!(うまくいくかどうかは)神様が決めるところだから、とりあえず一緒にやりたい人に声かける!って思って一歩行動を踏み出せたり。本当に身軽に行動できるようになったなぁって思います。

あと、私は田舎に住んでるんですけど、イスラームの価値観と近いところがあるなって感じます。日本の都会だと実行できないようなことができたりして。先ほどYukiさんが、パキスタンでみんながお茶飲みに来ないかって誘ってくださったというお話をされていましたが、今そういうことが自分の身の回りであるんですよ(笑)。歩いていて、道ばたで会った人と話をすると「うちにおいでよ」みたいな。初めて会う人でもそう言ってくれて、普通にお茶に行って、そのまま食べ物が出てきたりとか。お裾分け文化もあります。隣の人が手作りのこんにゃくを持ってきてくれたり、私はアラブ圏のお菓子を作って隣の人にあげたりということもあって。イスラームでは、ご飯を作ったら隣の人にも 分けましょうねという教えがあって、多分都会のマンションとかだと隣の人がこんなことしてきた!と驚かれたりするかもしれず…実際に私も、都市に住んでいた時に引かれたこともあるんですけど(苦笑)。

今は田舎とイスラームの価値観がなじみすぎて、生きやすい!毎日です。

お裾分け!といただいた、ほんの近所で釣れたばかりの川魚

突然お抹茶のおもてなしをいただく。出雲國ならではの文化


mgm:

パレスチナのことを勉強するようになって、現地で過ごされた方の本なども読むようになったんですけど、そこでもやはり、生活が大変な中でも絶対に心からおもてなししてくれるというエピソードをよく目にしました。そういう温かさや、ホスピタリティが本当に素晴らしいと思います。

私の結婚式のあとにムスリマの女の子たちと喋ってたときにも、10代前半くらいだと思うんですが、プレゼントを持ってきてくれたり、しっかりお祝いの言葉や、歓迎していることを伝えてくれて、精神的に成熟しているなというのも感じました。

次の質問なのですが、イスラームの教えを知る中で、あるいは自分ご自身がムスリマとして生きる中で、驚いたこととか意外だったことはありますか?

 

イスラームについて驚いたこと・意外だったこと

Yuki:

今まで色々な場所を旅して、色々な宗教にも触れて来ました。仏教とか、インドを訪れてヒンドゥー教の文化に触れたり、ユダヤ教の聖地に行ったりクリスチャンの家庭でホームステイさせてもらったこともありました。でもイスラームほど生活と信仰が一体になっている宗教に出会ったのは初めてで、それにびっくりしました。

1日5回のお祈りとかもそうだし、食事の前後とか、お出かけする前とか、日常のちょっとした場面ごとにみんなが自然に祈りの言葉を言っているのとかを聞いたりして、イスラームって本当に生き方そのものなんだなっていうのを感じました。

特別な場所や時間だけでなく、日々の暮らしのすべてに深く根づいていることに、とても驚きましたし、感動もしました。

Nanami:

私も、宗教と生活ってむしろ関係ないものぐらいに思ってたんですけど、イスラームを知って、これは全然違うなって。

日本人が”宗教”って口にする時の定義と、イスラームは全然違うと思うんです。イスラームは日常の基盤っていうか。自分の中にも、イスラームは厳しいものだっていう偏見があったんですけど、全然そんなことなくって、むしろ一番優しいかもしれないっていうふうに、驚きつつも見方が変わっていきました。

(イスラームの教えは)よく生きるためのガイドみたいなもので、厳しいというよりも「これだけはやっておけば間違いないよ」っていうことを優しく教えてくれていると思うんです。

あと、クルアーンの中に、人間はダメな生き物だ、みたいな言葉がよく出てきて。そもそも”インサーン”ってアラビア語で”人間”を意味する単語なんですけど、”忘れる”っていう言葉から派生しているんです。人間は忘れる生き物で、だから繰り返し読んで覚えないといけないし、不完全な忘れる生き物だから頑張ろうねという意味があるのかなと。

完璧を目指そうというのではなくて、「だめなところがあるから、ちゃんと努力しようね」「より良くなる方向に向かおうね」「気を抜いて堕落しないようにね」みたいな感じ。弱さを認めてもらえているだけで、安心感があるというか、素でいさせてくれるというか。とにかく 全然厳しいものじゃなかったなって思いました。

あと、クルアーンの内容についてもっと「ああしなさい、こうしなさい」という厳しい感じかなって思っていたんですけど、意外と日常に関係することが多くて。結婚するときはどうするとか、遺産相続のときはどうするとか、そんなことを細かく書いててびっくりしました。それらは本当に誰でも経験する可能性のある、みんなが知っておかないといけないことなので、ありがたいなって思います。日本だと、法律はある程度専門的に勉強している人しか知らないから、遺産相続のときは法律事務所にお願いしてお金を払ったりしないといけないし、それが正しくなされているのかも、よくわからない。みんなが通る道なのに、 一部の人しかアクセスできないものになっている。

あとは動物の屠殺とかも、今、日本では許可された施設じゃないとダメってなっていますよね。でも、本来はみんながアクセスできるべき知識・技術なんじゃないかと思います。だって、誰もが日々お肉を食べているんですから。

こういった、人々の日常の中に必要な知識を守っているのがイスラームなんだなと、宗教自体の意味に対する考え方が変わりました。

mgm:

今までのお話を聞いて、イスラームって一般的な日本人のイメージよりもずっと”ひらかれている”んだなという印象を受けました。余所から来た旅人をもてなしてくれるという点でもそうだし、ちゃんと色々な情報や守るべきルールにきちんとアクセスできるようになっている点でも、オープンなイメージに自分の中で変わってきました。

今回の座談会・前半は、自己紹介と改宗前後のエピソードということでお話をお聞きしました。

後半では、もう少し踏み込んだお話についてもお伺いさせてください!ありがとうございました。

 

(2025.6.30 / 座談会 NanamiYukimgm

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