ハラールショップから始まったイスラームへの旅~ビスマさんの改宗体験記

アッサラームアライクム。

今回は、改宗されてから10年目で、パキスタン人夫と二人のお子さんと日本で暮らされているビスマさんにお話を伺いました。



イスラームとの出逢いと改宗のきっかけ

ーまず初めに、ビスマさんとイスラームとの出逢いについて聞かせてください。

英語が使えるアルバイト先を探していて、偶然ハラール食材を扱うお店に応募しました。

ハラールの意味さえも働き始めてから知ったくらいで、それまではイスラームのことは全然知らなかったし、知ろうともしていませんでした。

ハラールショップで勤め始めてからは、「こんな世界があるんだ!」と驚きの連続。お店のスタッフにもお客さまにも色んな国の人達がいて、一言で表すとイスラム教徒だけれども、その国籍や人種の多様性に日々驚いていたことを覚えています。

 

ーその後、どのようにしてイスラームに導かれたのでしょうか。

ハラールショップでは、生まれた時からムスリムの方や改宗された方からも、イスラームにまつわる色々なお話を聴く機会がありましたが、大変そうだなぁと他人事として受け止めていました。

しかし、パキスタン人のムスリム(今の夫)と出逢って結婚することになり、結婚するならイスラームに改宗するのが必須だと言われて、モスクでのシャハーダ(イスラム教徒になるための信仰告白)とニカー(結婚式)の手筈を整えられました。

色々考えたり悩んでしまう前にシャハーダできたので、このように少々強引なくらいの流れが逆によかったのかもしれないです。

今思えば、偶然ハラールショップで働き始めた!というところから、すでにイスラームに導かれていたように感じますね。

 

改宗当時の悩みや変化

ー改宗にするときに悩んだことはありましたか?

食べ物のことですね。「豚肉が食べられなくなるんかぁ…」とは思いましたし、好きだった餃子をはじめ、それまで食べていた色んなものが食べられなくなったのはつらかったです。

改宗してから豚肉はきっぱりと食べるのを止めましたが、それ以外は徐々に減らし、食べないようにしていったという感じでした。

そもそも、親が動物が可哀想だという考え方でお肉を食べるのがあまり好きでなかったし、お酒も飲まない家庭だったので、有難いことにお肉を食べないという食生活には既に馴染みがありました。

なので、私は改宗前はお肉は毎日のように食べていましたが、食べなくなってもそんなに健康に問題は無いんだろうなと思ったし、ハラールのお肉が手に入らなくてもそこまで頻繁に食べる必要性も感じず、改宗してからはお肉自体を食べる機会が減りました。

 

ー家族や職場についてはどうでしたか?

家族は、私が自分で決めたことは他人から覆されない性格なのをわかっていたので、改宗についてとやかく言われることは無かったです。

仕事についても日本で一般職だとヒジャブのことなど悩みが多いところですが、職場がハラールショップだったので、同僚や顔なじみのお客さまからはむしろ改宗を喜ばれるという環境でした。

 

ー改宗前と改宗後の、自分の変化はありましたか?

特に変化という変化を感じたわけではありませんでした。

すぐ第一子を妊娠したから、そちらに気をとられていたのもあって。旦那との意思疎通が簡単な日本語と英語でしかできず、つわりなど辛いときに中々思っているように伝わらなくて大変でした。

生まれてこのかたムスリムですという方と改宗した人とでは視点が異なる部分もあるので、日本人の改宗ムスリマさんからイスラームについて教えてもらっており、この勉強の時間は大切だなと思って、出産するまで続けていましたね。

 

イスラームにまつわる大切な経験

ーイスラームへの信仰が高まった経験があれば、ぜひ聴かせてください。

改宗して年月が経っても、アッラーって一体何なんだろう…などと思っていた節がありました。

でも、去年ウムラ(メッカ巡礼)に参加したことは、イスラームに関するひとつの大きな感動体験でした。

きっかけは、何となしにウムラに行った方々の体験談を聞く会に友人と行ってみたことでした。

その時はまだウムラのこともよく知らず、「ウムラって何?」という感じだったのですが、このイベントのあった後日に、「日本からのウムラツアーに参加してみませんか?」と知人からお声掛けをいただいて、ウムラが自分事になりました。

旦那に相談したところ、またとない機会だし、子どもも大きくなり付きっ切りでなくてもよくなったので、行ってみたら?と背中を押してくれて、実際にウムラに行くことになりました。

ウムラに行く前から「行くからには知識をつけていかないと!」と思い、必要なドゥアー(お祈りの文言)をはじめウムラとイスラームについて改めて勉強をしました。

 

ー実際にウムラに行ってみて、どうでしたか?

話す言語も、これまで生きてきた場所も違うのに、たくさんのイスラム教徒がメッカのカアバ神殿の前に集まって、同じ時間に同じように祈りを捧げていることに感動しました…世界にはこんなにたくさんのシスター、ブラザー(信仰を同じくする仲間たち)がいるんだ!と。

言葉は通じなくても心は同じとはこういうことかと、実感しました。

また、行きたくても行けない人もいる中でウムラに行かせてもらえたことに、大きな感謝をおぼえました。

それだけでなく、何事においても今まで感謝が少なかったと自省するきっかけにもなり、普通に生活できていることも実は当たり前ではなくて、感謝すべきことなんだと思い直しました。

 

ムスリマとしての今と、これから

ームスリマとして日本で生活していて、難しいなと感じることはありますか?

日本はイスラームの国ではないので、モスクからアザーン(お祈りへの呼び掛け)が鳴り響いてお祈りの時間を知らせてくれたり、食べ物を食べる時にハラルかどうかを気にせず何でも安心して口にできる環境ではなくて。だから、イバーダ(宗教的義務、崇拝行為)が難しいなと思うことがあります。

自らイバーダを「やろう!」と思わないとできないので、そのモチベーションを保たないといけません。

ウムラに参加してからは一緒に行った日本人の同胞とオンラインでお話する機会が時々あり、家で一人でお祈りしていると孤独を感じるなど、皆が同じような悩みを抱えていて共有できるのが有難く、みんなでお話して信仰心を高めよう!と言い支え合っています。

 

ームスリマとして大切にしていることは何ですか?

イスラム教徒が少ない日本では、街中でヒジャブを被っていると目立ちます。だから、いつもムスリマを代表しているような気持ちで、悪い行いをしないようにと心掛けています。いつでも見られているという意識をもっていようと思っています。

それからやはり、「感謝」。

世界を見わたすと、夜になると寝て、翌朝起きてという事すら思うようにできない人々もいます。普通に生活ができていることに感謝を忘れずに居たいです。

 

インタビューを終えて

「まだまだ知らないことが多くて、」と終始謙虚でおられたビスマさんですが、改宗したときもウムラに行く前も、然るべきところできちんと勉強する努力をされる素晴らしいお方(マーシャーアッラー)。

ハラールショップで働き始めたり、ムスリムと結婚することになった、ウムラに参加したという一つ一つの出来事が偶然ではなくて、日本というムスリムがマイノリティである環境で悩みながらも信仰と向き合われているビスマさんのために用意された、神さまからのギフトなのだろうなぁと、感銘を受けながらお聞きしました。

 

(2025.6.14 / 聞き手・編集 Nanami)

 

【語り手プロフィール】

ビスマ

パキスタン人の夫と出会い、2014年からムスリマ生活。旦那、息子2人と暮らしてます。
アラビア語やイスラムを日々勉強中〜

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『わたしとイスラーム』が始まるまで(前編)