暗闇から光の世界へ。わたしを導いたイスラーム~優子さんの改宗体験記

アッサラームアライクム。

今回は、改宗されてから10年以上、生粋のパリジャンの夫と8人の子どもたちとフランスでイスラム教徒として暮らされている森田ルクレール優子さんに、お話を伺いました。



優子さんの自己紹介

1980年東京都生まれで、今はパリ近郊に住んで14年目です。イスラームの暮らしや価値観を伝える専門家として活動しています。

小学生の頃から何度もいじめに遭ったこともあり「生きる意味は何だろう?」といった哲学的なことを考えるようになったものの中々答えが見つからず、社会に出てからは何度もニート、転職の繰り返しでした。

イスラームに出会ってからは、生きる意味を見い出せ、親を大切にする教えのおかげで両親との関係性も改善しました。

15年前にSNSで出会ったパリジャン(フランスのパリ生まれ・育ち)の夫と交際0日で結婚。フランスに渡航して夫の子ども4人を引き取り、子育て歴0から母親になり、その後自らも4人を出産しました。

ソルボンヌ大学、パリ美大などに通う8人(22歳3人,19歳,12歳,10歳,8歳,6歳)と、親を大切にというイスラームの教えのもと、大切にされながら家族で仲よく暮らしています。

2023年「イスラムと仲よくなれる本」を秀和システムズ社から出版。2026年に、2冊目の書籍を出版予定です。

優子さんとご主人さん、そして8人の子ども達の集合写真。

 

イスラームとの出逢いから改宗まで

――イスラームとの出逢いと、当時の印象を聞かせてください。

イスラームは野蛮な宗教だというイメージがあり、どこか遠くの、自分とは全く関係のないものだと思っていましたね。

イスラームとの最初の接触は、20歳くらいの時に学校からマレーシアへ旅行したとき。先生から事前に「イスラム教徒の女性の写真を勝手に撮るのは絶対にだめ!」などと注意されていたこともあり「どんな怖い人達なんだろう」と思っていましたが、実際に目にすると優しそうでかわいらしい人達だったという風に印象が変わりました。だからといって”イスラーム”というものに思うところはなかったんですけれどね。

その後精神的に苦しかった時期に、自分を変えたいという思いからスピリチュアル・哲学的な本・宗教書などを読み漁りましたが、イスラム教の本もあるなぁと視野には入っていたのに、手つかずでした。

本当の意味でイスラームと出逢ったのは、子どもの頃からの夢だったエジプト旅行が叶った時です。現地のモスクから流れてくるアザーンがとても心地よく感じられ、「これは何なんだろう!」と衝擊をうけました。道端でお祈りしている人の姿も見て、直観的に「これが、わたしが捜していたものだ!」と感じたんです。

――その後、どのような流れでイスラームに改宗されたのですか?

元々音楽などのアラブ系の文化や言語にも興味があったのですが、エジプト旅行ですっかりイスラームに興味を抱き、アラブ・イスラームという世界に携わっていたい!という想いでアラブイスラーム学院にアラビア語を学びに行くことにしました。

日本に居ながらにしてイスラム教徒の日本人がたくさん居る環境で、モスクも併設されておりイスラームに触れられる・色んなことが聞ける良い機会でした。

ある日、イスラム教徒の日本人の方から「イスラームという生き方」という冊子をもらって読んでみたところ、「なんていい教えなんだろう!」と感動し、益々改宗したいという気持ちが日に日に強まりました。

社会の底辺のような生活をしてきた中で散々悩んでもわからなかった生きる意味や目的についても、イスラームに基づいてであれば理解できる気がして、これが本当に真実の教えだというならば、一度人生をかけてみようと思ったんです。

――シャハーダは、どちらで行われましたか?

東京ジャーミイでしました。人生をかけてみようとは思ったものの優柔不断なところもあるので、「本当にこれでいいのかな…?大丈夫かな?」と、どきどきと、怖いような気持ちもありました。

その前からあまり仲良くなかったこともあり、両親には言わずに改宗しましたね。

京都のイスラーム文化センター発刊の冊子「イスラームという生き方」。優子さんは何十回と読んでいて、フランスにも携帯されている。

 

改宗にあたっての悩みや変化

――改宗にするときに悩んだことや心配したことはありましたか?

お酒が大好きだったので、飲めなくなってもやっていけるかな?という不安はありました。服装も、当時は露出のある服が好きだったので、肌を隠さないといけないことに抵抗がありました。


――それらの心配事をどうやって解決しましたか?

お酒は大好きだったんですが、お酒による男女関係のいざこざなども見てきたし、お酒に頼ってストレスを発散することに心の裡では嫌気もさしていました。

だからといって止めようとも考えておらず、他の解決方法もわからなくって…これについても、とにかく、イスラームにかけてみようと思ったんです。結局、改宗してからはお酒は一滴も飲んでいません。

肌を隠すような、馴染みのない服装についても最初は「いやだなー」と思っていましたが、周囲にも「徐々にでいいんじゃない?」と言われ、「やろう!」と思って少しずつイスラームに反しない服装に近づけていきました。元々はメイクも大好きだったんですが、公の場で目立つお化粧をすることはイスラームでは宜しくないとされているので、改宗してすぐの頃は本当に大変でしたね。


――後から考えると、神さまの思し召しだったんだなぁというようなご経験は、今までにありますか?

改宗したもののイスラームでハラームとされるような悪いことをしようと思った時もあったんですが、仲が良かった友人に「ムスリムになったんだから、悪いことはもうやめたら?」と言われて思いとどまったという経験があります。

自分の努力だけでなく周囲からもイスラームの教えから逸れようとすると声がかかるようになったというのも、アッラーのご意志により守られたということなんだと、今となっては思います。

それから、実はこの頃はイリーガルなことをやっているような友人ばかりと付き合っていたんですが…。改宗後少しした頃、ズボンのポケットに入れていた携帯をトイレに落して水没させてしまい、携帯のデータが全部消えたということがありました!

「どうしよう、誰とも連絡が取れない…」と当時は精神的ダメージを受けたのですが、振り返ると、この事件はわたしを取巻く環境を激変させるきっかけをくれた出来事だったように思います。

 

――改宗前と改宗後の、自分の変化と周囲の変化はどうでしたか?

自分自身はすぐに変化があったわけではありませんでしたが、1年後くらいには360°と言いたくなるくらい(それだと戻っちゃうんですけれど、本当に180°で済まないくらい!)変わりました。

お酒を飲まないこともですし、アングラな世界を生きていた自分がそこから出られるようになって、まともな仕事につくこともできました。考え方もがらっと変わりました。

当初は「普通の人」と話すことすらできなかったのですが、改宗して以来抵抗を感じながらもモスクに通ってムスリム達と話しているうちに、受け入れられている感じがして、徐々に心を開けるようになりました。暗闇から、光の世界にどんどん引っ張られているような感覚がありましたね。

周囲については、友人たちとは連絡が取れなくなったこともあり関係が切れてしまっていたのですが、当時所属していたアラブ・イスラーム学院の人達にはすぐに改宗したことを言いました。

両親には何を言っても聞かないと諦められていたんですが…改宗した後には勇気を出して伝えました。「そうなの?!」と驚かれはしましたが、一緒に行ったエジプト旅行などでイスラームに触れてはいたので、抵抗はなかったようでした。

フランスのモスクの様子(外)

フランスのモスクの様子(中)


――改宗してよかったと感じることは、どんなことですか?

自分軸ができたことは大きいですね~。迷っても元の道に戻れる。道を逸れそうになっても軌道修正ができますので!

元々は結婚したいとか子どもがほしいとも思っていなかったんですが、改宗したことが後の結婚や出産にも結び付き、子どもを持つ喜びを感じられたのも、よかったなと感じることです。

それからもちろん、イリーガルや底辺という世界で生きてきた自分が、そこから抜け出して変われたこと!


――改宗して大変に感じることは、ありましたか?

わたしは完璧主義なところもあり、最初は自分の中で、イスラームに合わせて全部変えていかないと…とプレッシャーを感じてしまっていたんです。

その頃に出会って結婚した夫が自分のペースを大切にする人で、わたしに対しても「無理せず、徐々に変わっていけばいいよ」と言ってくれていたことには、支えられましたね。

日本とフランス。ムスリマとしての暮らし

――日本でのムスリマとしての生活、そして今住まれているフランスでの生活はいかがですか?

日本では、ムスリマであったがために会社をクビになった経験があります!異性の目が無い職場では普通の服装をしていたんですが、出勤する時はヒジャーブにアバヤという姿だったんです。そしたら、「お客さんに変な風に思われたらいやだから…」と言われて一方的に解雇されました。

でも、違うところにヒジャブ姿で面接に行き「これをつけて働いていいですか?仕事中にお祈りの時間もとりたいのですが」と素直に話したら承諾してもらえて、ムスリマとして気兼ねなく仕事に就いていた経験もあります。

フランスでは…専業主婦で勤めに出ているわけでもなく、ハラール食材も普通に売っている環境なので、ムスリムとして生活する中で特に困っていることはありません。

差別が多いと言われるわりには、差別らしき経験をしたこともないです。ただ、そもそも日本に比べてハッキリと意見を言う文化なので、ムスリマだからということを抜きにして、人付き合いでイヤな思いをすることはあります。

ですが、地下鉄に乗っていても子供や妊娠をしていないのに私にまで「子供と一緒に座れた方がいいから。」と譲ってくれるなど、親切な方も多いです。 子供には優しい方が多いので、子を持つ親としては心温まる場面がたくさんある社会です。

総合的にフランスの方が楽かなという気がしますけれど、日本に暮らしていた当時は改宗して間も無くてイスラームのことをまだよく分かっていなかったし、ヒジャブ姿で人と話すことを含めイスラームに基づいた暮らしというものにまだ慣れていなかったので、それによる難しさもあったと思います。

パリのハラル食材店、調味料コーナーの様子

フランス語のイスラーム関連書籍は、豊富にあります


――改宗前の、接触が無かった頃に比べて、イスラームの印象はどう変化しましたか?

全てが印象と違いましたね。元々は野蛮とか男尊女卑という悪いイメージばかり持っていましたが…実際はイスラームと生きる人達には、良い方が本当に多い!自分では考えも及ばないような親切なことをしていただき感動した経験も何度もあります。イスラームの教えに基づいて生きている周りの人々によって、わたしのイスラームの印象は大きく変わりましたね。


――イスラームの好きなところは、どんなところですか?

どんな人間にでも、慈悲を与えてくださるところです。こんなわたしでも、引っ張り出して、救ってくださったことが一番です。他にもいっぱいあるけれど…。


――ムスリムとして大切にしていることは、どんなことですか?

この世界はムスリムだけでなくて、色んな宗教・考え方の人がいるので…自分がムスリムとしての看板を背負って生きているということを、常に意識しています。

自分がムスリムではない人達と喋って悪い印象を与えたら、「イスラム教徒ってこんな程度の人なんだ!」と思われてしまう。そうならないように、いつも心掛けています。

 

現在のご活動と、これから

――イスラームと関連する、ご自身の活動について聞かせてください。

「イスラムとなかよくなれる本」を出版し、本を通じてイスラームについて知ってもらう活動をしています。来年には、二冊目の出版も予定しています。

ムスリマの方々に向けては、お母さんが自信をもってお子さんもお母さん自身も大切にできる親子関係を築くための講座や、子どもが与えられた自らの性を大切にできる・防犯の知識なども身に付けられるような性教育の講座を、子育て中のお母さんを対象に開催しています。

今後については、ムスリムでは無い方々向けに、イスラーム×自己啓発というテーマでも講座などのかたちで伝えていきたいと考えています。

――これから、どんなムスリマになりたいか…理想や夢はありますか?

アッラーの教えにもっと忠実に生きていきたいです。

夢は、日本の方々にイスラームは怖い宗教ではなくて、愛溢れる宗教なんだと知っていただくことです!

一冊目の著書「イスラムと仲よくなれる本」と

開催したオンライン講座の画面

インタビューを終えて

イスラームに出会って人生が激変したのだという優子さん。

長らく悩んでおられる中でも手放されなかった「変わりたい」という祈りのようなお気持ちがアッラーに届いて、受け入れられたのではないでしょうか。

今現在のイスラームに関するご活動において、優しく丁寧に、悩みや疑問を抱える人々に心から寄り添えるのは、心も・生活環境さえも悩みの渦の中におられた過去のご経験があってこそのことなのだなと感じました。

書籍や講座などの今後の優子さんのイスラームに関するご活動は、SNSからチェックされてくださいね。

(2025.8.4 / 聞き手・編集 Nanami)


【語り手プロフィール】

森田ルクレール優子

パリ在住8人ママのイスラム教徒。 2009年に入信し、パリには2011年から結婚を機に移住。
イスラム教徒のママ向けに講座を開催。ノンムスリムの方向けにイスラム成幸法則を発信しています。
好きなことは、海外旅行。

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未知の世界だった「イスラーム」が、「わたし」に重なるまで~Canaryさんの改宗体験記